【MFA健康コラムVol.44】「食べ過ぎない」ということ その2
前回はカラダを整える方法としての食事の大切さについて述べた。
今回は「食べ過ぎない」ということについて、偉人の言葉を元に見ていきたいと思う。
【体が美味しい】
料理研究家の土井善晴さんは著書「一汁一菜でよいという提案」の中において、ご飯や味噌汁をおいしいと感じて受け入れるのは、私たちの身体だと言う。
お肉の脂身やマグロのトロなど御馳走と呼ばれる物は、一口食べるなり反射的に「美味しい!」と感じるが、それは舌先と直結した「脳」が喜んでいると。
そのように身体全体が喜ぶおいしさと、脳が喜ぶおいしさは別だとおっしゃっている。
また著書の中では次のことも述べられている。
『「腹が減っては戦ができない」と昔の人は言いましたが、エネルギーが無くなると身体が動かなくなります。人間は命を作る為に料理し、元気をつける為に食べ物を食べるのです。』
人間の「食べる」は、表面的なおいしさ(脳が喜ぶ)だけを求めているのではない。無意識に身体はそれをすでに知っており、穏やかなおいしさ、心地よさとして、ゆっくりと身体から脳へメッセージを伝えているのではないだろうか。
土井善晴さんの提唱する「一汁一菜」のような慎ましい暮らしは大事の備えに繋がる。
料理を通じて、その日常を高めることが皆さんの「なりたいもの」や「叶えたいもの」への無意識のエネルギーになるかもしれない。
また、物事に一喜一憂せず、冷静に、そして安心へと繋がるかもしれない。
そういった可能性に、「食事」は隣り合わせの要因として関わっているのである。
【食べ過ぎないを実践した偉人】
前述した一汁一菜も決して食べ過ぎには該当しないだろう。また、現代においても沢山の健康にまつわる著書に「食べ過ぎない」「少食」というキーワードが溢れている。
食べ過ぎよりも、「食べ過ぎない」方が体にとって良いかは別として、健康に生きる為には必要なことであると安易に想像できるだろう。現代の著名人にも、1日1食の人も複数存在し、その方々はこぞって「健康」であることが多い。
歴史を遡っても「少食」というキーワードと健康は密接に繋がっていることが分かる。
いくつか紹介する。
古代ギリシャの数学者ピタゴラスも「人の病気は過食からくる」と考えて、しばしば断食を行なった。また、ギリシャの医師、ヒポクラテスも「食べられるだけ食べると、その分だけ体の害になる」と言葉を残している。
今の時代も昔も、食べるか食べないかよりも、「食べ過ぎ」が健康を語る上で一つのキーワードとなっているようだ。
また、ルネサンス期のイタリア貴族、元祖食べない健康法のルイジ・コルナロは暴飲暴食による生活習慣病が原因で、40代で死の宣告を受ける。その後、とことん食事量を減らす「少食ライフ」を実践して、当時としては考えられない102歳の天寿を全うしたという逸話もある。
日本においては、江戸時代中期に観相家として活躍した水野南北がいる。南北は節食開運説を提唱し、食べ過ぎないことと運勢を関連付けた「南北相法修身録」を残している。本人自身も、食べ過ぎを戒め、当時としてはかなり長寿の77歳まで生きたようだ。
また、同じ時代に記された尾張藩の重臣 横井也有の「健康十訓」は、当時の健康法10カ条である。その中でも「食事はよく噛んで食べ、少なくすること」とあり、それを実践した也有の享年は81歳であった。
長寿になる為の少食ではなく、少食であることが健康を維持することになり、その結果が長寿になったのであろう。
胃腸の状態も夏より回復し食欲も増してくるこの時期。食欲の秋の到来である。栄養価の高いものを食べて、「食べ過ぎ」を一つのキーワードにしてみてはどうだろうか?
もちろん、基礎疾患や栄養指導を受けている方は専門の機関での指示を仰いで頂きたい。
「食事を通して得られる健康」のために、その行動を始めるキッカケに、本文を参考にして頂ければ幸いである。
次回は食事の具体的な方法などを紹介する。
参考文献
土井 善晴「一汁一菜でよいという提案」
秋月 辰一郎「体質と食物 健康への道」
石黒 成治「医師がすすめる少食ライフ」